5年前に聞いた言葉がずっと心に残っている。
「アウトプットばかりでインプットがない」
当時、講師仲間だった1人が職場を去るというのでワケを聞いてみたらそんな言葉が返ってきた。その方は当時30代半ばだったから、インプットがないことで学びと成長が止まってしまったような焦燥感だったのかも知れないし、それまでの知識の蓄えを使い回しながら40代に突入することに危機感を覚えたのかも知れない。その職場ではファカルティ・メンバー的存在であったから、安定期に入ったことで新たなチャレンジに向かいたい気持ちになったのかも知れない。
グラフィックデザインは(制作過程のインプットはあるにしても)アウトプットだ。当時グラフィックデザインに携わって通算25年を迎えようとしていた私はその日までそんな疑問を持つことすらなかった。インかアウトかなんて、考えたこともなかった。
講師業はその方が言うようにたしかにアウトプットだ。こちらも蓄えた知識と経験というインがあった上でのアウトであることには違いないが。
講師を始めて9年目くらいかと思うが、それまで全くの自己流で使用していたアドビのソフトは、教えるという立場では全く通用せず、学び直さなければいけなかったし、全くもって感覚的に作っていたグラフィックも、人に伝えるために言葉にしたり体系化する必要があり、それまでメモ一つなかったデザインの手法を整理しなおすことで私はおおいに学んだ、本当に。これは紛れもない貴重なインプットだった。
だがそのプロセスも次第に落ち着き、受講生との向き合い方とレジュメは5-6年でほぼ安定した。受講生の作品の質は(初回に比べれば)飛躍的に向上した。地味に改編は続けているがアウトプット手法のブラッシュアップであって、もはやインプットではない。
5年前に「アウトプットばかりでインプットがない」と聞いて以来、その通りだとばかり、よく考えもせずそうだと思っていたのだが、全く逆のことを感じている自分に最近気づいた。毎日毎日膨大な情報をインターネットからインプットしているではないかと。
ツイッターでは日替わりで海外のフレッシュなデザイン関連ニュースに触れるし、ソフトのアップデートやハードの新製品情報、デザイン展情報などを入手する。登録サイトからは、グラフィックのトレンド情報や旬の素材、興味深いチュートリアルの公開案内がメールでやって来る。
何のきっかけで知ったか思い出せないが、若手のWEBデザイナーによるタイポグラフィ講座(無料)は、10週に渡って美しくデザインされたPDFが添付されてきて、英語を読む苦労はあったものの極めてシンプルに体系化されていて素晴らしかった。
また、子供相手にグラフィックデザインのクラスを開いて欲しいと頼まれた現役デザイナーの手記は目からウロコだった。子供に通じない言葉は使わない=視覚伝達コミュニケーションの原点がそこにあり、教材のヒントを沢山発掘した。
講師業と同じくらいのボリュームでグラフィックデザインの仕事もしているのだから、アウトプットもしているはずなのだが、どうも欲求不満に陥っている。かといって商業デザインを離れて自由に描きたい絵があるわけでもなく、目的のないグラフィックを制作する気にもならない。これはiPadでプロクリエイトを使ってはっきりした。
どうにもすっきりしない自分がいる。インターネットの<インプット海>で溺れているのかもしれない。一度陸に上って眺めを変える必要があると感じてはいるものの、どうすべきなのかがわからない。ネット断ちは選択肢にない。
しかしいや、これは単なる<中年の海>で漂流しているだけなのではないかと(汗)思いたくないが思ったりもする日々である。
2008.9 カルフォルニア(写ってる人は赤の他人)