アウトランダー(海外ドラマ)


アウトランダー(海外ドラマ)はシーズン1でどハマり、次の展開が待ちきれずに原作本を買い求めてしまったほどだ。原作本は23冊も出版済みなのだがまだ完結しておらず、日本語訳版はその全部が出版されていない。原作本もほとんど中古でしか入手できず、15冊目あたりで2千円台、3千円台の金額がついてしまっていたのでそこから断念した。


この物語はよく「女性が夢中になる」と紹介される。クレア(主人公)の夫ジェイミーが女性が夢見る男なのである。どんなことがあってもクレアを愛し、命に換えても守り抜く男なのである。(あまりに陳腐な自分の表現力が悲しいっ)

クレアの夫、ジェイミー(❤︎)


主人公のクレアは1900年代後半を生きていた現代人。ある日、意図せず石を通りぬけて1700年代に飛んでしまうところから物語は始まり、そこでの過酷な運命や試練にめげず勇敢に生き抜く物語だ。


そしてさすがテレビドラマ、毎回「ひぃぃーーー」なシーンが盛り込まれ、それが日本のスタンダートを完全に超えている。まずグロい。拷問、殺戮に加え、主人公のクレアは外科医なのでノコギリで壊死した体の一部を切り取ったり、蛆虫を使った治療とかが出てくるし、描写もリアルだ。1700年代のスコットランド、イギリス、フランス、アメリカで、クレアはその知識ゆえに魔女裁判で殺されかけたりもする。

さらに「やめてーーー!痛いー!ひどいー!殺さないでー!死なないでー!!」と共に、必ず毎回「やん・・・❤︎」みたいな濡れ場が入ってるとこだ。女優さんも男優さんもそこまで見せちゃうかという大胆さで、本当に忙しいドラマなのだ。


このドラマの見どころは他にもたくさんある。


まずなんといってもその舞台美術。衣装、城、民家、(フランスでの)宮殿、庭園、はたまた馬車、剣や銃の武器に至っても、どれだけの予算と労力が要ったのだろうという凄さ。ハリボテはあるだろうし、CGでなんでも可能な時代だけど、実際にロケされた城や街並みシーンは、古い建造物を守ってきたからこそだなぁと感心する。スコットランドの雄大な風景もしかり。刈りをした時代だから野生動物もたくさん出てくる。アメリカに渡った後はアメリカンインディアンも出てきて、そのスタイルが本当にかっこいい。


フランス時代の衣装は普段ヨーロッパのアンティークに興味がいまいちな私にも、現代のセンスにあわせてリメイクされ、思わず見入ってしまう美しさだ。シーズン5を終えてもこのフランス時代だけは、制作陣たちがここぞと華やかに魅せた時代だなと思ってしまう。

にしても宮殿のトイレとかはボトン式なので、ある権威者は腹の調子がすぐれず、ンコ臭いことで嫌がられるシーンなどもある。私も面白がってドラマ休憩にネット検索に繰り出して調べたら、そのお方は総入れ歯だという話も残っていて、登場するとンコ臭+入れ歯を必ず思い出してしまうようになったりした。


クレアを演じる女優はモデルでもあるカトリーナ・バルフ。質素な1700年代のドレスも彼女が着ると素敵になっちゃうのだが、フランス時代のドレスの着こなしは圧巻。

引用元

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次に、この話は史実を基盤にアレンジされているところだ。なかでもカロデンの戦いシーンは実際にあった戦いで、戦史を読んでからあらためて観ると胸がいっぱいになる。

余談だけど、私はこの手のシーンが大好きだ。特に戦いの前のスピーチを聞くのが好きだ。どんな映画でもそこには死への恐怖を取り払う言葉がある。ロードオブザリングスにはいくつかあるのだが、特にロハンがゴンドールに援軍として向かい、圧倒的な敵軍前に死を覚悟するしかないシーンでのセオドン王のスピーチは本当に感動的だ。このスピーチを聞けば私も馬にのって死へ突進できそうだと思えるほどに。


ロードオブザリングスのシーン、もし興味があったらゼヒ!英語字幕で。3:30から


そして、これはシーズン中盤以降に強調されてくるのだが、時代と人権にまつわる話の展開だ。奴隷制度や女性の社会的ポジション、抑圧に抵抗する暴動などで、人権に対する現代とのコントラストを学ぶことができる。いかに我々の祖先がこの人権をめぐり、信念を曲げずに戦い、多くの命が奪われ、今日を勝ち取ったのかを考えさせられる。シーズン5では主な登場人物はアメリカにいて独立戦争はまだ起きていないのだが、そこへの布石が打たれたところだ。


ドラマの1700年代では、女性はレイプされて望まない妊娠をしたとしても「子供は愛の証であり同意の元であった」になってしまい、女性もまた被害を訴えることすらしないようにみてとれた。またバージンでないことが知られると結婚もできない。男性は豪快で逞しく家長としての責任は果たすが、野蛮であることは問題でなく女性を蔑む言葉の数々も沢山登場する。(ハイランダーにおいて。英仏はすでにもっと洗練された社会として描かれる。)


私はアメリカの義母をみていて、今日の日本の女性の社会的ポジションはアメリカでは30年前にあったのだなと思ってしまうことがある。30年後のアメリカもまだ女性はその権利のために戦っているのだから、日本もそうなのかもしれない。義母より30歳若いアメリカ人女性は「セクハラ、モラハラ」という言葉を知って20代を過ごしたが、30歳若い日本人の私はそれを知らずに20代を生きたというか。今考えればセクハラ以外のなんでもないことが、笑って流された時代だ。(誤解なきように書くと、私も被害者意識はなかった)


では30歳若いアメリカ人男性である夫はどうなのかというと。

上げ膳据え膳を嫌がる(ので私は楽である)。日本の夫婦のあり方は、甲斐甲斐しく夫の世話をし上げ膳据え膳する妻でありながら、外では夫が「愚妻」と紹介するのが望ましいとされたりする。すでに古くなりつつあるのだと信じたいが、やはり根強くあるのではと思う。

それは夫のようなアメリカ人にすれば「妻を召使のようにしている」にすぎず、まさにモラハラ夫になってしまう。特に私は専業主婦ではないので上げ膳据え膳されてはむしろ困るのである。

私はこの日本の価値観や表現を否定しないし、別に夫に理解してもらわなくていいのだが、この違いをどうやっても説明できる気がしない。妻が専業主婦となり家事を担当し、幸せにバランスしている家庭は現在のアメリカにも世界中の先進国にも沢山あるだろう。でも「愚妻」として紹介するくだりは日本独特のもので、説明したとしても否定するレベルに届かず、ただの謎になってしまうに違いないと思うのである。


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© Yoshimi Towle